最近は登山ブームなのですが、いったい何のために登山するのでしょうか。
確かに山頂にての眺望は素晴らしいものです。
またそれに至る山道脇に咲き乱れる高山植物を見るのも楽しいと思います。
また険しい崖に挑みロッククライミングを楽しむ人もいます。
しかしそれらの人は、ただ自らの欲望を満たすためにだけ登山しているにすぎないのも事実です。
本来山々の頂には、古来より神々が祀られてきました。
其の神々に敬意をはらい、山に登る前には、其の山の里宮に詣でて、神の許しを得た者だけが山の頂に登って来たのです。
其の時には登山と言わず登拝といいます。
昔の人は、まず里宮に参拝し、山の頂にある祠に参拝し、五穀豊穣を祈り、また雨乞いをし、神々に祈願するために登拝しました。
ところが今は、里宮にも参拝せず、自我欲求の為にだけに登る登山者が増えてきました。
よって神の怒りにふれ、遭難する人が後を絶ちません。
山々は自我欲求の為にあるのではありません。
私たちは山々の恵みによって生かされていることを忘れてはなりません。
緑深い山々は水を蓄え、空気を循環し大きな働きをしています。
古来の人はむやみに山深く足を踏み入れることはしませんでした。
高い山の頂は神が降臨しやすい場所なのです。
つまりそこは聖域なのです。
山に登るのなら、まず里宮に参拝し、山頂に着いたなら、そこに祀られてある祠に手を合わせ祈願するくらいの心得があってほしいものです。
日本人ならこのことを知っていてほしいと思います。
確かに山頂にての眺望は素晴らしいものです。
またそれに至る山道脇に咲き乱れる高山植物を見るのも楽しいと思います。
また険しい崖に挑みロッククライミングを楽しむ人もいます。
しかしそれらの人は、ただ自らの欲望を満たすためにだけ登山しているにすぎないのも事実です。
本来山々の頂には、古来より神々が祀られてきました。
其の神々に敬意をはらい、山に登る前には、其の山の里宮に詣でて、神の許しを得た者だけが山の頂に登って来たのです。
其の時には登山と言わず登拝といいます。
昔の人は、まず里宮に参拝し、山の頂にある祠に参拝し、五穀豊穣を祈り、また雨乞いをし、神々に祈願するために登拝しました。
ところが今は、里宮にも参拝せず、自我欲求の為にだけに登る登山者が増えてきました。
よって神の怒りにふれ、遭難する人が後を絶ちません。
山々は自我欲求の為にあるのではありません。
私たちは山々の恵みによって生かされていることを忘れてはなりません。
緑深い山々は水を蓄え、空気を循環し大きな働きをしています。
古来の人はむやみに山深く足を踏み入れることはしませんでした。
高い山の頂は神が降臨しやすい場所なのです。
つまりそこは聖域なのです。
山に登るのなら、まず里宮に参拝し、山頂に着いたなら、そこに祀られてある祠に手を合わせ祈願するくらいの心得があってほしいものです。
日本人ならこのことを知っていてほしいと思います。
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- このエントリーのカテゴリ : 生き方・考え方
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