昨年の暮れより約4カ月にわたり、手作りで念願のギャラリー翠明と和膳料理の教室を作り上げました。大工やら水道工事やら電機工事に内装工事に建具とすべて自分でやりました。
色々自分でやってみると、こんなに経費が安く出来あがるものかと感心させられます。
家は自分で建てた方が安くできるという事をまた実感しました。
今回は改造なので、その工事の一部を紹介させて頂きます。

まず地鎮祭をしました。穴があいているのは、コンクリートだと大地のエネルギーが閉ざされるからです。深さは90cmあります。祭祀の後、この穴の中に鎮め物をします。祭祀の前は穴から冷たい風が吹いていましたが、祭祀の後は暖かい風が吹きあがってきました。

上の写真は、私の木工作業所です。大工さん位の道具は揃っています。

水道の配管が終わり、床張りを開始したところです。床は杉板を貼ることにしました。1月初めなので寒い為ストーブを背中に妻と頑張っています。

床が張り終わり、階段も付け、壁も12ミリのコンパネを張って完成に近づいています。

キッチンが設置されて、食器棚も設置しました。周りの壁には真っ白いクロスが張られ、玄関周りも形が見えだしました。

キッチン上部の戸棚も完成し、全体にクロスも貼れました。照明も2部屋に6畳に4灯と10畳に9灯と十分すぎるくらい設置しました。

工事がひと段落つき、私の絵画を展示しました。


玄関周りはこのように焼き杉の板を張り、竹垣をしました。こんな具合です。


竹垣の前には竹筒に花を植えて並べました。

こんな具合に家を改造しての私の作品が出来ました。
いろんな方がこんなに何でもできるんですねと言います。
私は、できると思えば何でもできるよと言います。
人は出来ると思うことが能力なのです。
最初から何でもできる人はこの世には存在しません。
たった一言「じゃどうやれば」だけを思い、行動するだけなのです。
一度私の作品を見に来て下さい。
お待ちしています。
色々自分でやってみると、こんなに経費が安く出来あがるものかと感心させられます。
家は自分で建てた方が安くできるという事をまた実感しました。
今回は改造なので、その工事の一部を紹介させて頂きます。

まず地鎮祭をしました。穴があいているのは、コンクリートだと大地のエネルギーが閉ざされるからです。深さは90cmあります。祭祀の後、この穴の中に鎮め物をします。祭祀の前は穴から冷たい風が吹いていましたが、祭祀の後は暖かい風が吹きあがってきました。

上の写真は、私の木工作業所です。大工さん位の道具は揃っています。

水道の配管が終わり、床張りを開始したところです。床は杉板を貼ることにしました。1月初めなので寒い為ストーブを背中に妻と頑張っています。

床が張り終わり、階段も付け、壁も12ミリのコンパネを張って完成に近づいています。

キッチンが設置されて、食器棚も設置しました。周りの壁には真っ白いクロスが張られ、玄関周りも形が見えだしました。

キッチン上部の戸棚も完成し、全体にクロスも貼れました。照明も2部屋に6畳に4灯と10畳に9灯と十分すぎるくらい設置しました。

工事がひと段落つき、私の絵画を展示しました。


玄関周りはこのように焼き杉の板を張り、竹垣をしました。こんな具合です。


竹垣の前には竹筒に花を植えて並べました。

こんな具合に家を改造しての私の作品が出来ました。
いろんな方がこんなに何でもできるんですねと言います。
私は、できると思えば何でもできるよと言います。
人は出来ると思うことが能力なのです。
最初から何でもできる人はこの世には存在しません。
たった一言「じゃどうやれば」だけを思い、行動するだけなのです。
一度私の作品を見に来て下さい。
お待ちしています。
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- このエントリーのカテゴリ : 絵画
今日は私の描いてきた絵を紹介します。
私と絵
私と絵との生活はおよそ四十年になります。四国の山の中に分け入り、その中で自然と出会い自然と一体となることを目指し、山で寝泊まりなどして創作活動をしてきました。そのことにより、自然風景を描きながら、その風景に自らの自画像を見出し描いてまいりました。
当時の私の絵のスタイルは、こうやって自然の中から学びとってきたものでした。
また芸術というものに対して真剣に取り組みました。芸術とは何か?芸術とは、それを通して人々の心を高め、魂を高め、それにより、この世の中を正しき方向に向ける助力となることが芸術の本分と思います。
わたしは絵を通して少しでもその人が良い方向に進むことができますようにと絵筆を取っています。今の私はそういう気持ちで絵を描いています。すると何故かそれに応えてか、私の絵から様々なエネルギーが出るようになりました。己が心のままにそのエネルギーが、絵から出ることが解りました。よって自らの心が清らかでなければ清らかな絵を描けるはずもなく、ただひたすら惟神(かんながら)の道を歩むことにより、その心を高める日々を送らせていただいております。
私の絵をお求めいただき、部屋にかけて頂ければその人が良い方向に進むように、心をこめて描かせていただいております。
この絵は、朝の光が樹を透して神光が輝いている様を描いています。

神光(8号)
この絵は、吉野川の支流で、銅山川という川の最奥にある渓谷の、深い深い緑の水に魅せられて描いたものです。

深奥(50号)
この絵は伊勢神宮の内宮の新御敷地(しんみしきち)を描かせて頂いたものです。絵からは神気が感じられると思います。

神気(100号)
これからも多くの方のご家庭で喜ばれる善き波動の絵を描いてまいりたいと思います。
私と絵
私と絵との生活はおよそ四十年になります。四国の山の中に分け入り、その中で自然と出会い自然と一体となることを目指し、山で寝泊まりなどして創作活動をしてきました。そのことにより、自然風景を描きながら、その風景に自らの自画像を見出し描いてまいりました。
当時の私の絵のスタイルは、こうやって自然の中から学びとってきたものでした。
また芸術というものに対して真剣に取り組みました。芸術とは何か?芸術とは、それを通して人々の心を高め、魂を高め、それにより、この世の中を正しき方向に向ける助力となることが芸術の本分と思います。
わたしは絵を通して少しでもその人が良い方向に進むことができますようにと絵筆を取っています。今の私はそういう気持ちで絵を描いています。すると何故かそれに応えてか、私の絵から様々なエネルギーが出るようになりました。己が心のままにそのエネルギーが、絵から出ることが解りました。よって自らの心が清らかでなければ清らかな絵を描けるはずもなく、ただひたすら惟神(かんながら)の道を歩むことにより、その心を高める日々を送らせていただいております。
私の絵をお求めいただき、部屋にかけて頂ければその人が良い方向に進むように、心をこめて描かせていただいております。
この絵は、朝の光が樹を透して神光が輝いている様を描いています。

神光(8号)
この絵は、吉野川の支流で、銅山川という川の最奥にある渓谷の、深い深い緑の水に魅せられて描いたものです。

深奥(50号)
この絵は伊勢神宮の内宮の新御敷地(しんみしきち)を描かせて頂いたものです。絵からは神気が感じられると思います。

神気(100号)
これからも多くの方のご家庭で喜ばれる善き波動の絵を描いてまいりたいと思います。
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