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いじめ問題については大きく報道されていますが、このいじめ問題の元凶は家庭内教育にあります。
確かに学校内での出来事なので、学校の在り方や教育委員会の在り方にも問題はあります。その学校や教育委員会のせいにしていては、このいじめ問題の解決にはならないのです。いくらいじめの調査をしても、いじめをしたとの結果のみを取り上げることとなり、肝心の原因を取り除くことにはならないのです。
そこに警察が介入すれば、犯罪者を作ることともなります。
何故こうまで日本は全てにおいて対症療法的に、事の本質には目を向けず、何かのせいにだけするようになったのでしょうか。
何かが日本人の心から消えていっているように思えてなりません。
そもそも、そのいじめをする子供達がなぜそのような心を持つようになったのかが重要なのです。いじめをしても罪悪感を持つことのない子供達が何故育ってきたのか、それは家庭内での育ち方に問題があるのです。この家庭内での心身の育ち方に大きく関係します。
それには次のような問題点があります。

① まず第一に、それは母親の考え方が一番大きな問題とされます。母親が常に夫と良好な関係を築き、人生をより良くする為の目標を持ち、常に笑顔で、感謝の心を持ち生活していると、子供はそれを習い、そのような人生を歩むようになります。
特に8歳までが、その子の将来を決める心の在り方を身につける期間とされています。母がそうあることがその子の将来を決めるのです。
夫を尊敬している母がいる家からは多くの偉人が出ていることも事実です。

② 次に食生活に問題があります。その大本が肉食と乳製品の摂取にあります。
野生の動物を見ればわかるように、草食動物はお互いに和を保ち、お互いを襲うようなことは決してありません。肉食動物は、常に他の動物を襲うことを目的とした生き方をしています。その襲う方法が卑劣なのです。物陰に身を潜め、獲物を待ちますが、その狙う相手は老いた動物か子供のような弱い動物なのです。決して堂々とした狩りの方法ではありません。
人間がこの肉食を続けていくと、やがてこの肉食動物の性格が身につくようになり、やがて攻撃的な性格となっていきます。つまり争いを好むような性格になっていくのです。
日本人は、古来より穀物中心(特に米)の菜食をしてきました。米は陰陽でいえば中庸となります。中庸は陰陽の中心です。陰陽の中心にある米を食べることは、心が中心を持つことになります。中庸食は心を安定させます。
肉食は陽性が強く、砂糖は陰性が強く、甘いものを食べすぎたり、肉食を続けていくと、心は陰陽の両端に揺れることとなり、中心を持てなくなります。
つまり心が不安定になることとなります。
日本人は、道徳心が強く、世界一犯罪の少ない国と言われてきたのは、この食生活が大きく影響していることだけは間違いがありません。
動物タンパクは体のバランスを壊します。
日本人なら、肉や乳製品から動物(異種)タンパク質を摂取するのをやめ、穀物中心のタンパク質を摂取しなければなりません。
米は日本人の心を日本人らしく育てます。

③ また最近問題になっているのにゲーム脳の問題があります。
TVゲームを続けていると善悪の判断のつかない心を作ってしまうという問題です。日本人の脳をを狂わせるゲーム開発はやめるべきなのではないでしょうか。相手を陥れたり、いじめたり、犯罪を犯したりしても、それをゲーム的にしか解釈できない心を育ててしまうのがゲームなのです。
人をナイフで刺してもそれに対して罪悪感を持たなくなった子供は、このゲーム脳のなれの果ての姿です。
この様な子供は、社会の中でも必ずトラブルを起こすようになります。

④ 幼き頃に芯を折られた木は真っ直ぐに育ちません。成長は止まり、歪んだような枝ぶりとなります。
幼き頃にこの様な目に合った子供は、木と同じように心の成長は止まり、またその心は歪んでしまいます。
何事にも歪んだ考え方をしてしまうようになります。

この様な問題点がいじめの原因の一つとされます。
重要なことは、このいじめ問題がこのまま続けば、日本国がおかしくなるということです。
子供達が、このいじめを平気で行うことを常としていると、大人になっても犯罪という認識の無い者となり、世の乱れの原因となります。
この国の将来を背負って行く存在となるべき者がこのありさまでは、国の行く末が危ぶまれます。
いじめを無くすることは、これからの日本の将来を明るくします。
その為にも、上記した①②③④点の問題を解決していかなければなりません。
この日本を良くしたい、美しくしたいという心があるならば、これらのことを心に止め置き、まずは、自らの家庭に於いてこれらのことを実践していってほしいものと願っております。

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この世の全てのものは波動により共鳴する

この世にあるものは、人であれ、物であれ、出来事であれ、あらゆるものは共鳴していることを御存知でしょうか。
その共鳴は全てに繋がりを作り、あらゆる現象の元を作っているのである。
「類は友を呼ぶ」ということわざがあるが、それは、この波動が共鳴するからなのであり、「朱に交われば赤くなる」ということわざがあるが、いずれかの波動の中に生活していれば、そこの波動が身に付き、そこでの常識が身につくからなのだ。
大事なのは、そこでの染まり方が問題なのである。
心がけの良くない家庭であれば、そこで育つとその波動が身につき人生を良くすることはできない。
幼き頃に身に付いた波動は、よほどのことのない限り消えないものである。
しかし、それを上回る強き波動の場に生活の場を求めれば、それを変えることも可能である。
素晴らしい人に出会い、その波動を受けることが出来れば、自然と自らの波動が良くなり、また人に良い影響を与えることのできることとなるのだ。
また、良き波動の場があればそこに出来る限り足を運ぶことだ。
人の人生は、どんな色に染まるかで決まると言っても良い。
夢や願望や目標などを掲げてみても、自らの波動がそれに応じなければ絵に描いただけとなる。
良き波動は、良き波動の仲間を呼び、良き社会を作る。
その先には、良き国を作ることとなるのだ。
いまの国会の中が良くならないのは、良き波動の場でないだけではなく、良き波動を持たない人たちが集まっているからだ。
もっとも、その議員を送り出した有権者が良き波動を持たないから、その共鳴する人を国会に送りだしたこととなるのではあるが。
私達は、常に心の波動を良きものにする努力を怠ってはならない。
良き波動が良き社会を作り、私たちの暮らしも良くするのだ。
その為にも、私達は良き波動を身につけなければならない。
その波動を身につける為には、
1. 正しい信仰心をもち、敬神の念の深いこと。
2. 何事にも感謝の出来る心を持つこと。
3. 人としてふさわしい食事をすること。
4. 嬉しい、楽しい、有難い、勿体ないという心を身につけること。
5. 心の中心をしっかりさせること。
良き波動の持ち主は、良き情報に意識を持ち、良く笑いながら会話をするようになるし、どんなことが起ころうとも、笑顔で対処できる心を持つ。
「ありがとうございます」と日々口に出す生き方をしようではないか。
日本が危ない

戦後の日本は様々な紆余曲折を経て現在まで来ているわけだが、現在のその在り様はご存じのように政界を中心にして余りにも情けないことが続いている。
その原因は、押しつけ憲法のせいという人があれば、学校教育が日教組に乗っ取られたせいという人もいれば、国家のせいという人がいれば、家庭教育のせいという人も、実に様々な原因説を唱える。これらのことを通して言えるのは、今の日本人に共通しているのが、必ず誰かのせいにするということではあるまいか。
誰かのせいにするということはある意味では楽ではあるが、そうすることで、そのことの本質からはますます離れていくことになる為、問題解決するどころかもっともっとこの日本がおかしくなってしまうことに気づいていない。
本当の原因は何処なのかということだが、あらゆる原因の中でのその大元は家庭であることに間違いはない。
その家庭を見れば、先ず父がいて母がいて、祖父母がいて子たちがいる。
家庭での中心は父である。ちちとは、地(ち)であり血(ち)であり雷(いかづち」である。
父は大地にどっかと腰を据え、血のごとく生命の源となり、雷のごとく怖い存在であらねばならぬ。父の役目とは怖い存在であらねばならない。
また母は、命の蘇りの役目を果たし、その嫁いだ家を守るという大切な役目がある。
子育てに於いては、その大切な役目になるのが母親なのである。
子供は100%近く母をまねて育ち、父の影響はほとんどないとされている。
その父の影響は母を通してくるため、直接的に父の影響はほとんどないといっていい。
また子育てに於いて、味覚は3歳までに決まり、その人の人生観は8歳までに決まるという。8歳までに母が子供に対して何を見せ何を感じさせるかが、その子の人生を決めるのである。従って、母が責任感の無い人格ならば、子供も責任感の無い人格に育っていくこととなる。
今の政治において責任感の無い議員が多いのは、その政治家を育てた母の影響にある。
そんな母親ほど、自分の子育てはさておいて、学校教育のせいにしたりする。
確かに学校教育がしっかりしていれば、その中で経験する事柄からある意味人格形成に役立つことがあることはわかる。
しかし、その受け入れ方が良い母の影響を受けた子供と、悪しき母の影響を受けた子供とではまるで育ち方が違うのである。また母が夫を尊敬していれば、その子供は必ず父親を尊敬するようになる。世の偉人と称される人たちの生い立ちは必ず母が夫を尊敬しているのだ。そんな子供は、就職しても上司とうまくいくようになる。
つまり会社の役に立つ。
父を尊敬していないと、上司とうまくいかなくなるのだ。
当然そんな子供ばかりになれば、会社もその延長線上にある社会はおかしくなる。
母の在り方が子をいかようにも育て、また社会のありようも決めることとなるのだ。
夫婦仲が良いのが3代続けばその家の家運は上昇し、必ず優れた子が育つと言われている。いくら塾通いしても、馬鹿な母からは馬鹿な子が育つ。
夫婦仲良く、妻は夫を尊敬し、いつも素晴らしい生き方を目指す母親からは、素晴らしい子が育つ。日本を良くするも悪くするも母次第なのである。
最近は登山ブームなのですが、いったい何のために登山するのでしょうか。
確かに山頂にての眺望は素晴らしいものです。
またそれに至る山道脇に咲き乱れる高山植物を見るのも楽しいと思います。
また険しい崖に挑みロッククライミングを楽しむ人もいます。
しかしそれらの人は、ただ自らの欲望を満たすためにだけ登山しているにすぎないのも事実です。
本来山々の頂には、古来より神々が祀られてきました。
其の神々に敬意をはらい、山に登る前には、其の山の里宮に詣でて、神の許しを得た者だけが山の頂に登って来たのです。
其の時には登山と言わず登拝といいます。
昔の人は、まず里宮に参拝し、山の頂にある祠に参拝し、五穀豊穣を祈り、また雨乞いをし、神々に祈願するために登拝しました。
ところが今は、里宮にも参拝せず、自我欲求の為にだけに登る登山者が増えてきました。
よって神の怒りにふれ、遭難する人が後を絶ちません。
山々は自我欲求の為にあるのではありません。
私たちは山々の恵みによって生かされていることを忘れてはなりません。
緑深い山々は水を蓄え、空気を循環し大きな働きをしています。
古来の人はむやみに山深く足を踏み入れることはしませんでした。
高い山の頂は神が降臨しやすい場所なのです。
つまりそこは聖域なのです。
山に登るのなら、まず里宮に参拝し、山頂に着いたなら、そこに祀られてある祠に手を合わせ祈願するくらいの心得があってほしいものです。
日本人ならこのことを知っていてほしいと思います。
癌とか重篤な病気に対し、闘病生活に入るとか闘病中であるとか言う言葉をよく聞きますが、果たしてこの闘病と言う言いかたは正しいのでしょうか。
この世に原因の無いものはありません。
その原因に注視すること無く、ただ症状のみを訴え、その症状を抑えることにのみ躍起になっているのが現在の医療の現状ではないでしょうか。
そもそも病気というのは、自分の心が歪むことにより、食生活の乱れを起こしたり、運動不足を招いたり、自らの精神状態を混乱させたあげくストレス状態となったり、あるいは心の低下より幽界の霊を憑依させたり、先祖の因縁を受けたり、様々な要因で起こるものであるが、おおむね自分の心の問題である。
ガンというのは、その人の心と体がガン体質になったことから起こるものです。
人は心が汚れると邪気が発生し体の中に溜まります。
邪気が溜まれば体は動かなくなってしまいますから、このガン細胞がその邪気を体から排出させる為に孤軍奮闘してくれるのです。
だが心が我欲と傲慢と頑固の渦に包まれてくると、その邪気はどんどん生産されるからどんどんガン細胞も増えてくることとなる。
いわばガン細胞は自分の体の邪気排出の為精一杯努力しているわけだ。
ガンと闘うということは、自分の体の為に働いてくれているガン細胞を敵とみているわけだから、自分の体の正義の味方を追い出すことに繋がるのだ。
そのガン細胞を取り除いても、根本治療にはならない。
自分の心と体を正しくしない限りである。
自分で作った病と闘うなどと考えてもおかしいことだと思いませんか。
自分と闘うということなんですよ。
闘病するのではなく、ガン細胞と仲良くなることが大事なのです。
自分の心の在り方や、言動が常に感謝と共にあり、食生活が正しく、姿勢を正しく、適度な運動をして良い気を体に流していれば、心に邪気が溜まるようなことはほとんど無いでしょう。
神道の言葉に、嬉しい、楽しい。有難い。勿体ないの心で過ごせば、体に病は起こらず、日々を幸せに生きることができると言われています。

 

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